海を渡る
留学生として、日本へ。
日本語はサンフランシスコ州立大学で学びました。そして東京国際大学で1年、京都外国語大学で最終学年を過ごし、日本という国を肌で知りました。1999年に学業を終えたとき、この若いアメリカ人が携えていたのは、日本語と、骨身を惜しまず働く姿勢でした。その後のすべては、自らの手で築いたものです。

将 創業者/評議会を率いる将軍(しょうぐん)
京都で学び、1999年からは東京でドメイン事業の先頭を走りました。会社を興して売却し、日本、ベトナム、ハワイに事業を広げてきました。そのうえで評議会を築きました。ひとりで鍛えるほかなかったものを、次の世代の創業者には最初から手渡すためです。
海を渡る
日本語はサンフランシスコ州立大学で学びました。そして東京国際大学で1年、京都外国語大学で最終学年を過ごし、日本という国を肌で知りました。1999年に学業を終えたとき、この若いアメリカ人が携えていたのは、日本語と、骨身を惜しまず働く姿勢でした。その後のすべては、自らの手で築いたものです。
最初の波

東京で創業間もないネット求人の会社に入り、インターネット企業の仕組みを内側から学びました。それから1年のうちに自らの求人ポータルを立ち上げ、その持ち分も売却しました。日本のドメイン名市場に入ったのも同じ年で、そこに外国人はほとんどいませんでした。作って、結果で示し、次の担い手に託す。この流儀が身についたのも、この頃です。
ソリス

2001年2月、技術者のBen Wardとともにソリス株式会社を設立しました。日本のドメインの仕組みが組み直されていた、まさにその時期です。ソリスはICANN認定レジストラとなり、JPRS指定事業者にもなりました。当時国内最大のプロバイダーだったニフティとも提携しました。顧客には、日本を代表する上場企業450社以上と、海外の上場企業150社以上が名を連ねました。
買収
2005年7月、創業者の熊谷正寿が率いるGMOインターネットとの間で、ソリスの買収契約が結ばれました。同社はその数週間前まで、グローバルメディアオンラインの名で知られていました。買収のあともGMOはソリスの名を残し、法人向けのドメインサービスとして運営を続けました。長期の計画を立て、規律をもってやり抜く。ナドーがいまも拠り所にするこの基準は、GMOと熊谷のもとで形づくられました。
業界を貫く鋼
2009年には、ICANN認定レジストラでJPRS指定事業者でもあるWIXIを共同で創業しました。その後も、東京でいくつもの会社を興しました。日本ドメイン名事業者協会では理事に名を連ね、日本インターネットプロバイダー協会でも役員として運営に携わりました。現在は、1999年から日本企業のドメインを管理してきたPSI-Japanを率いています。
評議会の種
いまナドーはホノルルを拠点に、ハワイ、日本、ベトナムにまたがる事業を率いています。ドメインとホスティングの会社、デジタルエージェンシー、AI推論のゲートウェイがあります。さらに、レンタカー向けソフトウェアの会社、高級車のレンタカー会社、ハノイのソフトウェア開発会社が並びます。各社は互いに仕事を供給し合っています。この設計こそが、HI Combinator の種になりました。
仲間への務め
ナドーは起業家の組織Entrepreneurs' Organization(EO)で、仲間からEOハワイ支部の長に選ばれました。約50人の経営者が集まる支部です。現在はガバナンス委員長と次期会長を務め、2027年7月1日に会長に就きます。なお、HI Combinator は EO から独立した、ナドー自身の事業です。
鍛錬
ともに築き、 育ち、学ぶ。 志は、高く。 最善を尽くし、 最高であれ。
ダーシャン・ナドー
(2026年10月31日、マノア渓谷にて)
